犬本―【国内/た】―その1

犬を飼う

谷口ジロー

小学館/小学館文庫 457円 [Amazon]

 2002.1.1初版。単行本は1992年11月小学館刊。読みました。読んで、泣きました。
 で、このたび文庫化。まあね、いいものはダブっていても買ってやりたいのでね、買いました。んで、泣きました。成長してませんな。泣き虫の人は読んじゃだめでしょう。
 表題作は、飼い犬の死を看取る中年夫婦の話。そしてその一年後、猫を飼うことになる彼ら。さらに、その猫の子を里子に出したり、近所の老犬の話、家出してきた親戚の子を預かる夏の日の話など、読み切りの連作で4本。さいごの登山の話は、ちょっと毛色が変わっていて、主人公も別ですが、それはどうでもいい。連作の4本だけで、この本の価値はある。
 犬や飼っていると、こいつが年老いたら、あるいは病気になったら、自分はどうするであろうかと時々考えます。猫を飼っていても同じだけど。結論は出ないんだけど。
 で、こんな漫画を読んでしまうと、自分のとるべき道が、またしてもぐるぐると、さらにわからなくなる。きっとその場にならないと、判断できないんだろうし、どう決断したとしても、その決断を一生悔やむことになるんだろう。人間様なのだから、それくらいの後悔は背負ってやろうじゃないか、と開き直るしかないか。(2001.12.10 黒鼻)

★★★★☆


ドッグファイト

谷口裕貴

徳間書店 1600円 [Amazon]

 2001.5.31初版。第2回日本SF新人賞受賞作。著者は1971年和歌山県生まれ。
 SF新人賞ってえぐらいですからガチガチのSFです。なにしろ装画が生〓(頼の旧字)範義だし(なつかしー)、植民惑星あり宇宙船あり精神感応者ありで、若いころならともかく、最近じゃちょっと手に取らないようなタイプの本。
 それをなんで読もうと思ったのか。犬だから、です。ピジョンというこの惑星には「犬飼い」というのがおりまして、犬と精神感応して操ったりするんですわ。使い方としては牧畜だったり狩猟だったりで、いまとさほど違わないのですが、しぼりたての牛乳を運ばせてその振動でバターにしちゃう(無理なんだけど、そーゆー売りで商売しようとかするのよ)なんてことも出てきます。
 地球からの進駐軍に支配されてしまったピジョンの連中が、なんとか自由を取り戻そうとするお話で、ま、よくあるタイプではあります。が、反乱軍(軍じゃないけど)に犬どもが加わっただけで、こんなにも感情移入してしまうのはわれながら問題だと思う(笑)。いやもうたまらん。元SF少年少女で犬好きだったら読む価値ありとみた。
 新人の第一作ですから文章など未熟な部分は多く、完璧とはいいがたいが、よしとしよう。二作目も犬関係だったら買ってやるからがんばれよ(←えらそう)。(2001.5.29 黒鼻)

★★★★


愛のひだりがわ

筒井康隆

岩波書店 1800円 [Amazon]

 2002.1.24初版。筒井康隆先生の長篇書き下ろし。“マジック・リアリズム”で描く、愛の冒険、だそうです(帯)。
 時代は近未来、「いま」からさらに状況が悪化し、“不良”が跋扈する日本。幼いときに犬に咬まれ、片腕が不自由になった小学六年生の少女が、行方不明の父を探すという物語。
 ああ、なんか、他愛ないんだが、いいなあ。タイトルが意味不明なようでいて、実に意味アリなのだな。
 もちろん、犬が出てくるから、というのもある。あるのだが、しかもこのもうすぐ70になろうという御大の書き下ろしだからというのもあるんだけれど、それでも、いい。
 最近の新聞紙上でのインタビューで、あれこれ語っておられたが、それすらも、もう、いい。
 ファンタジーである。必ずしも嬉しい楽しい出来事だというわけではないが、これはファンタジーだ。小学生から中学生に成長するこの主人公は、そのファンタジー世界に生きている。美しい世界ではない。むしろ邪悪な世界だ。それでも彼女は成長する。いやおうなしに成長する。
 ううむ、ほかにもあれこれ言いたいことはあるのだ。しかし、筒井康隆が好きじゃない人には言っても意味がない。好きな人であれば言う必要がない。ようするにそういうことだ。読む価値、アリ。
 この本で大切なのは(犬好きにとって、だ、もちろん)、主人公を支える要素として、「犬」が出てくることである。主人公は幼少時に犬に咬まれた、そして片腕が使えなくなった。しかし、だ。彼女は犬を恐れない。なぜならば、犬と語り合えるからだ。むろん、それは絵空事かもしれない。しかし、犬とともに生きる人間は、それを信じている。信じていなければ犬と暮らす意味がない。そう思うのである。(2002.2.20 黒鼻)

★★★★


 筒井康隆の長編書き下ろし。マジック・リアリズムで描く、愛の冒険。
 幼いころに犬に咬まれ片腕が不自由な少女。母を亡くした愛は仲良しの大型犬を連れ、行方不明の父を探す旅に出る。
 ああ、なんていい作品なんだろう。『旅のラゴス』を思い出してしまった。ルビは若年者向けなのだろうが、いい大人こそ、こういう本を読むべきだ。
 老人にもいろいろいるが、わたしはいつの時点でか「終わっちゃってる」老人が嫌いだ。古くさい価値観にしばられ、退屈極まりない話しかできないくせに妙にエバったりする。誠に申し訳ないが、できれば近寄りたくない。筒井康隆は間違いなく「終わらない」老人だ。心から長生きしてほしいなあと思う。(2002.3.6 白耳)

★★★★☆


犬と歩けば

出久根達郎

新潮社 1300円 [Amazon]

「小説新潮」連載エッセイ「かくかく、しかじか」より23編。
 わたしは「古本屋の親父」に、偏屈のうえにうさんくさい、いや〜な人というイメージを持っていて、いくら評判になっても著者の作品に手が出なかった。本書を読む気になったのはひとえにタイトルのおかげである。読んでみてびっくり。著者はいや〜な親父ではなく、お調子者のどじで可愛らしいおっさんだった。いままでごめんなさい。謝ります。

 文章を書いて飯を食う身が、手紙ひとつ記せなかった。どんな言葉も、そらぞらしい。文章というものは結局、何事もなく、平穏に過ごしている者だけにしか、通用しないのである。あるいは、喜びごとだけのものだ、と断じてもよかろう。(p.103「紅鶴」より)
 上のようなことをあっさり書かれてはなあ。脱帽。
 帯にもあるので書いてしまうが、著者自身の飼い犬の衰弱と介護、そして死が描かれている。こうなると読んだから泣いてしまうのか、泣くために読むのかわからなくなるが、やはり涙なくしては読めない。愛犬「ビッキ」はパピヨンです。(2001.5.29 白耳)

★★★


藤堂志津子

集英社 1500円 [Amazon]

 初出「小説すばる」2000.1〜2002.8。“大人の男女に贈る”短編集。表紙はキジ猫。表題作「秋の猫」は、浮気癖のある恋人と別れ、猫を飼う女を描く。収録5本すべて犬猫がらみです。「秋の猫」猫、「幸運の犬」犬、「ドルフィンハウス」猫、「病む犬」犬、「公園まで」犬。
 離婚する夫婦の愛犬をめぐる攻防を描いた「幸運の犬」いい。
 いつ読んでもぶれの少ない安心感のある藤堂作品だが、今回は5本中2本が、女が主に生活のために男に取り入る話だというのがちょっと気になる。そういうのが“大人”だということか。(2002.12.10 白耳)

★★★★


富澤勝

草思社 1600円 [Amazon]

 1997.10.6初版。読むだに腹の立つ本。本に対してではない。日本および日本人に対して、だ。
 著者は獣医学の学者さんで、海外経験もある。そういう人が、現代日本におけるペット事情(主として犬だが)をぶった切っている。この手の本は、えてしてイギリスえらいアメリカえらいとなってしまいがちだが、まあ実際えらいからしょうがない。
 ペットブームによる乱れた繁殖、投機を目的とした飼育、むちゃなペットショップ、マナーの悪い飼い主、膨大な数の野良犬、公園やマンションから締め出される犬たち、残酷な動物実験、盲導犬などへの無理解……などなどいちいちごもっとも。いっぽう、欧米での犬とのつきあいかた、しっかりしたしつけ、動物虐待防止法などの動物愛護精神、犬の飼育を前提とした(そうなのか?)都市計画……などなどいちいちうらやましい。
 とはいえ欧米万歳にはまってしまうと、こんどは捕鯨反対とか妙な方向にいってしまいかねないので、冷静にならなきゃいかんのだが、しかし、やっぱり日本の犬は不幸でしょう。
 なぜ不幸かというと、日本人が愚かだから、ということに尽きる。《不用犬》だ? 捨てるやつのほうがよっぽど不用人間だ。犬はあくまで犬、人間に利用されてナンボなのはたしかだが、利用するならするで仁義ってもんがあろうよ。捨てるくらいなら自分の手で殺したらどうなんだ。
 てなぐあいに、自分のなかで日本人根本的にバカ説が延々と続いてしまうわけ。
 とりあえず動物飼うやつには最低限の知識があるかどうかの確認テストと愛情をもって飼えるかどうかの宣誓を義務づけてはどうか。それくらいお膳立てしてもらわないと変わらないと思うし、変わらなきゃ動物を飼う資格はないね、この国の人間は。(2000.2.7 黒鼻)

★★★☆