犬の名前1
ペットを飼う楽しみのひとつである。
うちの犬はテスという。「ハーディーの?」と訊かれれば、わたくしは「そうです」と答えるが、それは相手に対して恰好つけたいときに限られる。
もちろんスジは通っているから説明には困らない。ボーダー・コリーはイギリス産だし、それに雌である。しかし、ほんとうは少し違う。
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二十数年前、実家に雌のブルドッグがいた。仕事の都合で飼えなくなった親戚の犬を引き取ったのだ。名をモンローといった。石を投げればポチやコロに当たるような片田舎でモンローだぜ。ブルドッグにモンロー。まごうかたなきミスマッチだが、わたくしは大いに誇らしかった。機会さえあれば誰彼構わずセクシー大女優の話をして聞かせた。嫌味な子どもである。だが、飼い始めて間もなく、わたくしのささやかな誇りは無惨にも打ち砕かれる。
「モンちゃん」
ある日、父がそういっているのを耳にした。
「モン次郎」
ともいった。猛烈に腹が立った。すぐさま抗議したが逆効果だった。わたくしが怒れば怒るほど父は面白がり、犬のほうは何と呼ばれようが同じように喜んで、べろべろと顔を舐めて答えるのだった。
それからすいぶん経ったある日、わたくしは知人宅のペルシャ猫が「あっちゃん」と呼ばれているのを耳にした。
「なんであっちゃんなの?」
「ほんとうはアリスっていうんだけどね」
こともなげに知人はいった。なんでそういうふうに略すんだ! 素敵な名前が台無しではないか。
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ペットに限らず、この手の省略には枚挙に暇がない。渡辺さんをナベちゃん、サチコさんをサッちゃんと呼ぶように、相手に親しめば親しむほど安易な省略は進む。だから、わたくしはじぶんの犬に名前をつけるとき、まず省略しにくいを第一条件とした。ようするに長いからいけないのだ。少なくとも二音節以下。それにペットにちゃん付けはよくない。礼儀上やむをえないといわれもするだろうが、犬は犬、きっぱりと呼んでいただきたい。というわけで、雌の洋犬に相応しい、省略しにくく、ちゃんが付けづらい名前を模索することになった。
テス。省略できまい。それに「テスちゃん」は発音しづらい。しめしめ。だが、命名間もなく、わたくしのたくらみは無惨にも打ち砕かれるのである。
ボーダー・コリーには大きく2種類のカラーがある。ブラック&ホワイトとチョコレート&ホワイト。テスは片親がチョコレートだが、ブラックに生まれついた。黒と白のコントラストはとてもシャープな印象を与えるから、初対面の人はどうもオスと思い込むらしく、名を問われて答えると「テスくんなんだ」というのである! テスくん、自然だ。う〜ん参った。それだけではない。
「名前なんていうの?」
「テスといいます」
「テツ?」
「いえ、テスです」
「ペス?」
「いえ、テスです。T・E・S・S、てーすーでーす」
「????」
テスには聞き取りにくいという重大な欠点があったのだ。(つづく)
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