ポチ


 ポチ。といっても犬の名ではない。文中で単語と単語の区切りを示すときなどに使う「・」のことである。正式には「なかぐろ」というらしい。
 本をつくるとき、もう本当にこれで最後だからね、このあとはなにがなんでもどんどん刷って製本して売っちゃうからね、という段階で、活字そのものの不備や、余計なところが汚れていないかをチェックする作業がある。もし活字が欠けていたりすれば、赤ボールペンで「カケ」とか、余白に怪しいシミがあったりすれば「ヨゴレトル」などと、それこそ目を皿にしてアラ探しをするわけだ。

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 上記のような下働きをしてきた関係上、ふつうに本を読んでいても無意識のうちに作業をしていることがある。それどころか夢にまで出てくる。
 刷り出しを見ていた。文字と文字の間にポチが打たれている――欠けているように見えた。わたくしは愛用のルーペを取り出しポチの上に当てた。欠けている。しかもケバまで立っている。あれ? なんとそのポチは、丸くなって寝ているボーダー・コリーだった。

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 わたくしの両親は一匹のシャム猫を飼っていた。これが異様ともうつるくらいの可愛がりようで、何をするでもまず猫、寝ても覚めても猫といった有様だ。結婚三十余年になる彼らには、会話が、ない。会話というより対話というべきか。たまにあるとすれば、そのほとんどが猫の話。
 実家で過ごしたある夜、わたくしは用があって両親の寝室をたずねた。彼らは和室に布団を並べて寝ているのだが、そのほぼ中央に猫が丸くなっていた。すぐに「母・父」という横書きの文字列が浮かんだ。

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 どんなに抗ってみても時にはかなわない。成り立ちがどうであれ、対人関係というものは緩やかに枯れて行く。安寧と惰性が微妙に入り混じる、とめどもない生活の中で、常に新しい時を生きている物言わぬ家族が、一文字ぶんのアキを埋めているような気がしてならない。(2000.9.1)



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