利口な犬
駅の近くにベスというとてもきれいなジャーマン・シェパードがいる。ある日、前を通りかかると、カーポートの鉄柱に繋がれたベスを、数人の男の子が取り囲んでいた。学校帰りなのか、全員ランドセルを背負って、シューズ袋(?)をぶらぶらさせながら「すげえ」とか「でかい」とかいっている。ひとりが犬を連れたわたしに気がついた。
「あっ犬。たたかうかも知れない!」
わはは、闘わねえよ。
「その犬オス?」
ほかの子がいった。
「ううん、メスだよ」
「じゃあさ、こっちのほうが強いよ」
「なんで?」
「だってオスだもん」
「ベスはメスだよ」
「うそ!」
「うそじゃないよ。だってちんちんないじゃん」
「うそ!」
大型犬は牡のイメージが強いのだろう。そうして全員でベスの股のあたりを覗き込んでいると、飼い主のおじさんが出てきた。手にボウルを持っている。「ばんごはんだ」と誰かが叫んだ。
「一日一回なんだよ」
おじさんがいった。
「うち二回だよ!」
犬を飼っている家の子がいった。
「ほんとは一日一回にしなきゃなんないの」
ちらちらとこちらを見ながらおじさんがいった。大きなボウルの中にはドライフードと缶詰を混ぜたものが入っている。
「おかずばっかじゃん、ご飯は入れなくていいの?」
誰かがいった。犬に残りご飯をあげるのを見たことがあるのだろう。
「犬には犬の餌しか食べさせちゃだめなんだよ。この犬は人間の食べ物は絶対食べないよ」
きちんとお座りをしたベスの前にボウルが置かれた。
「よし、っていってみな」
いちばん近くにいた子に、おじさんがいった。
「よし!」
大きな声でその子がいった。微動だにしないベス。
「よし!」
「よし!」
ほかの子たちも次々に号令をかけた。だが、ベスはおじさんを見つめたまま微動だにしない。
「よし」
おじさんが静かに命じると、ベスは素早く腰を上げ、がつがつと餌を食べ始めた。
「すっげー!」
「頭いい!」
「わたしの命令しかきかないようにしつけてあるんだよ」
男の子たちを前におごそかに語るおじさんの姿は、最高神ゼウスのようであった。
*
その日もベスはごはんの時間だった。家から出てきたのはおじさんではなく、おばさんだった。ベスはお座りもせず、おばさんに向かって懸命に尻尾を振っている。
「ほら」
おばさんは「待て」もさせず、無造作にボウルを置いた。がつがつと食べ始めるベス。ボウルの中には、白いご飯粒がいっぱい、入っていた。(2000.9.6)
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