小鳥の家
古い注文住宅によくあるような白壁に青い洋瓦の家で、通りに面した一角が車庫になっている。車はなく、そのかわりにたくさんの鳥籠が積まれていたから、わたしはその家を「小鳥の家」と呼んでいた。
飼われていたのは小鳥だけではない。奥のほうにイングリッシュ・ポインターの成犬がいた。目的不明の大きな板で仕切られた狭いスペースに繋がれており、いつも後脚で立ち上がってがって外を見ていた。出入り口の脇には、小鳥の餌と、特大のビタワンが口も閉じずに置かれていた。
犬にじぶんの境遇を嘆く知恵などないことはわかっているが、わたしは通るたびに、糞だらけの鳥籠の陰で切なげに鼻を鳴らすポインターが可哀想で、声をかけずにはいられなかった。
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飼い主は白髪頭の痩せたじいさんだった。彼との出会いは最悪といっていい。
ある日、いつものように前を通りかかると、じいさんが掃き掃除をしていた。気配を察したポインターが顔を出し、ぴすぴすと鼻を鳴らした。
「吠えるな!」
じいさんが怒鳴った。吠えてないじゃないですか、といおうと思ったが、じいさんの目つきを見て、やめた。じいさんが、わたし及びわたしの犬に犬を怒鳴って見せたことがわかったからだ。
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「そこを通らなければいい」と家人にいわれたが、それじゃ済まないわたしであった。じいさんのような偏屈を見ると血が滾るのである。
じいさんとの戦いが始まった。会える日も会えない日もあったが、会えば必ずじいさんはポインターを怒鳴り散らし、わたしは軽蔑の視線をくれ、のち、無視。視線が合っても言葉を交わすことのない、実に陰険な戦いだった。
冬が終わり春がきて夏がきて秋がきた。じいさんは相変わらずポインターを怒鳴り散らし、わたしは軽蔑の視線をくれ、のち、無視。劣悪な飼育環境も変わることはなかった。
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犬のためにもそろそろ散歩コースを変えようかと思い始めたころ、事態は急転した。まったく思いがけない展開だった。
じいさんがポインターを殴ったのである。手に持った箒で、わたし及びわたしの犬に犬を殴って見せたのである。
「吠えてないじゃないですか」
口を突いて出た。こういうのこそキレたというのだ。実際、頭の血管が切れてもおかしくはなかった。
「その犬は訓練してんのか」
一拍の間を置いて、じいさんがいった。
「殴ることが訓練だとは思いません」
その瞬間、じいさんは憑き物が落ちたような顔になった。そしてまるで何事もなかったかのように掃き掃除を再開した。
翌日、わたしは散歩コースを変えた。
* * *
じいさんは独り暮らしだったと思う。表札には、妻と息子とおぼしき名も記されていたが、じいさん以外の人が出入りしているのを見たことがない。通りに面した窓の障子紙がびりびりに破けていて、部屋の中に洗濯物が干してあるのが見えた。年も年だし、妻に先立たれたか、あるいは病気療養中か。いずれにしても、じいさんが孤独に苛立っていたのは確かで、犬を怒鳴ったり殴って見せられたりしたのは、わたしだけではないような気がする。
動物たちのことを思うなら、せいぜい下手に出て、様子を見ながら説得すればよかったのかも知れない。だが、わたしには、じいさんの孤独まで引き受ける覚悟はなかった。
*
じいさんはいなくなった。小鳥たちも、イングリッシュ・ポインターもいなくなった。
「小鳥の家」の表札は取り替えられ、通りに面した窓にはレースのカーテンが吊されている。かつて特大のビタワンがあった場所にはハーブの鉢植えが並び、きれいに片づけられた車庫にはぴかぴかのアウディが入っている。(2000.10.2)
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