しゃべるおばさん


 テスが首を振るので獣医に連れて行った。前に軽い外耳炎に罹ったときも同じようにぶるぶると首を振っていたからだ。耳をめくって見た限りではきれいだが、奥のほうに異物が入っていることも考えられる。
 原因は不明だったが、いちおう「耳洗浄」をすることになった。すのこを渡した流しの上で首にペットシーツを巻いて、大きな注射器のようなもので耳に洗浄液を入れる。診察料700円+耳洗浄1500円。安心代と思えば安いものである。
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 獣医は混んでいた。待合室にはフレンチ・ブルドッグ、トイ・プードル、ビーグルの仔犬、ラブラドール・レトリーバーとそれぞれの飼い主さんたちが順番を待っていた。
 腰が立たないほど老いていたり、見るからに重病のペットがいるときは、皆さんなんとなく口が重いが、そうでなければ同じペットの飼い主同士、けっこう気軽に声をかけたりかけられたりする。多く「かわいいですね、いくつですか?」「3歳です。そちらは?」のような、和やかな会話になるのだが、その日は少し違った。
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 おばさんはひとりで待合室の椅子に座っていた。
 シー・ズーとナントカとナントカ(忘れた)を3頭飼っていて、一度に連れて来るとたいへんなので駐車場の車の中で「主人と一緒に」待たせている、順番が来たら呼びに行く――ということを、訊かれもしないのにぺらぺらとしゃべった。我々にではなくプードルの飼い主さんにいったのだが、狭いところで、しかもたいへん声が大きいので嫌でも耳に入る。ほかの飼い主さんたちもそれとなく頷いたりしている。
 井戸端化である。

「きょうはどうしたの?」
 プードルを撫でながらおばさんがいった。
「……ちょっとノミが」
 飼い主さんがそういうと、おばさんの顔がぱっと輝いた。
「あ〜ら! それはねえ、首のとこにぷちっとするのをねえ、なんていったかしら? してもらえばいいのよ。うちもやってもらったの。一回やれば一ヶ月持つのよ!」
 おばさんはまさに我が意を得たりという感じで、怒濤のように愛犬のノミ取りの苦労についてしゃべり始めた。「ぷちっ」というのは「フロントライン」という薬のことで、一回やれば実は「二ヶ月」持つのだが、差し出口をきく気にはなれない。プードルの飼い主さんも、ただただ「はあ」「へえ」などと気のない相づちを打っている。
「このワンちゃんコリー?」
 うわっ、こんどはこっちに来た。
「ボーダー・コリーです」
 おばさんの顔が曇った。わたしは密かにほくそ笑んだ。これで会話は打ち切られるだろうと思ったからだ。この手のおばさんは、じぶんが知っていることしか知りたくないし、じぶんがわかりたいようにしかわかりたくない。
 だが、おばさんは負けていなかった。素早く脳内のデータベースから、知ってるコリーみたいな犬(たぶんシェルティ)の情報を引き出した。
 「うちの近くの×××の×××にもいるのよ。顔がね、やっぱりこういうふうに尖ってて、よく似てるわあ。そこの人は×××で×××でね、うちの×××の×××なんだけど……」
 興味を持たれたテスが尻尾を振りながらおばさんに寄って行く。
「あらっ、いい子ねえ! コリーなの、よちよち、犬のにおいがするでしょう? うちの××ちゃんもねえ……」

 おばさんのおしゃべりは、我々が診察室に入っている間も淀みなく続けられた。
 誰彼構わず、話のきっかけなど何でもよく、じぶんのことをしゃべってしゃべってしゃべりまくる。もちろん人の話は聞かない。
 無敵である。(2000.10.13)



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