ゴールデンに手を咬まれる


 スーパーの前などで、街路樹や階段の手すりに繋がれて飼い主を待っている犬を、わたしは待ち犬と呼んでいる。声をかけるといちおう歓迎してくれるが、ほとんどの犬が愛しい飼い主が出てくるのを心待ちにしているため、気もそぞろである。

 毛足の長い、たいへん立派な雄のゴールデン・レトリーバーだった。出入り口の脇に設けられた休憩場のベンチに繋がれ、きちんとお座りをしていた。彼がその気になればベンチを引きずって走ることくらい朝飯前だろう。
 休憩場には荷物の整理をしているおばさんと、退屈そうに煙草を吸う旦那族、そしてきょうだいとおぼしき小さな男の子と女の子が何やら叫びながら走り回っていた。保護者はいないようだった。

 ゴールデンが落ち着かない様子で腰を浮かせた。女の子のほうがかまい始めたのだ。ふざけた様子で触ろうとしては飛びすさる。40キロ超と思われるゴールデンに対し、中型犬くらいのボリュームしかない子供である。あぶないな、と思った。
 わたしが前に立つとゴールデンは反射的にお座りをした。しつけが入っている。遠目にはわからなかったが顔の毛色から老犬であることがわかった。
 わたしと女の子が手をさしのべたのは、ほぼ同時だった。ゴールデンの鼻面にぎゅうと皺が寄った。
 結果的にわたしが咬まれることになった。荷物の整理をしていたおばさんが悲鳴をあげ、女の子が泣きべそをかいた。

 わたしは無傷だった、といってもいい。しいていえば軽い擦過傷と打撲を負っただけである。
 先天的に異常であったり、獰猛(どうもう)であるよう訓練された犬は別として、家庭犬として人間と暮らす犬は、わけもなく人を咬むことはないとわたしは思う。犬が、とくに大型犬がやる気満々だったら、人間の喉笛に食らいついて致命傷を負わせることなど簡単である。こういっちゃなんだが学齢前の子供なんかイチコロだろう。
 ゴールデンがうるさいチビにちょっとした教育的指導をするつもりだったことは間違いない。
*

 わたしは犬を連れているとき「わんわん!」といいながらよちよちと近づいてくる子供がこわい。すぐに保護者を探すが、彼らは犬が繋がれていることに安心しきっているのか、ほとんど警戒しない。遠くのほうからのんびりと「だーめーよー」などというだけの人もいる。これは非常に困る。もし犬が咬んだら? その子供がじぶんから犬の口に手を入れたとしても、咬んだ犬のほうがわるい。飼い主は管理責任を問われ、最悪の場合、殺処分の上、損害賠償である。

 というわけで、きょうもわたしは飼い犬に興味を示す子どもたちに「咬むぞ!」と言い続けている。(2000.10.28)



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