身代わり


 小学生の頃、家に雌のブルドッグがいた。仕事の都合で飼えなくなった叔母夫婦から譲り受けた犬で、名をモンローといった。モンローは玄関脇の犬小屋で暮らしていた。いまでいう外飼いである。当時は、犬といえば「番犬」のことで、室内で飼われている犬は「座敷犬」などと呼ばれ、なんとなくバカにされていた。
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 さて、モンローの元飼い主である叔母夫婦には子どもがなかった。親戚が集まる席などで、彼らが肩身の狭い思いをしているのを見たのは一度や二度ではない。叔父が「妻がわるいのではなく、僕も、お互いにわるいんです」と、静かに反論したときのことを、わたしははっきりと覚えている。
 そんな叔母夫婦が犬を手に入れたとき、わたしの両親は「子どもがいなくて寂しいから犬を飼うのだ」といい、子どものわたしはそのことに何の疑問も持たなかった。

 アリスという名の猫がいた。三つ年下の彼と同棲している女友だちが、アパートでこっそり飼っていた猫で、親猫のどちらかがチンチラというだけあって、ふさふさとした毛並みのとてもきれいな猫だった。数年後ふたりは結婚した。新居に招かれたわたしはアリスがいないことに気がついた。新居はアパートやマンションではなく、古いながらも一戸建てだったから、わたしはふたりがアリスのためにそこを選んだのだと思い込んでいた。事実上新婚ほやほやの夫婦は気まずそうに顔を見合わせて「親に猫がいると子どもが授からないといわれ手放した」といった。

 モンローとアリスの間には約十五年の歳月が流れているが、「子どもとペット」に関する認識はあまり変わっていないことがわかる。
 さて、それからさらに十年を経て、わたしは再び犬と一緒に暮らしている。
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 いまの住まいは、いわゆる「ペット可」マンションである。いくつかの条件をクリアすればペットを飼うことができる。もちろん飼ってなくても住める。
 ある日、廊下でペットを飼っていない住人であるところのおっさんに会った。わたしだって会えばいちおう挨拶くらいはする。「お宅はお子さんはいるの?」とおっさんがいった。いません、とわたしは答えた。するとおっさんは「だから犬を可愛がるんだ」と、いった。まったく何の屈託も見当たらなかった。

 まだいるんです、こういう人。この手のことをいわれたのは実は初めてではない。「犬より子どものほうがいいだろうに」とか、ご丁寧にも遠回しに「猫はだめだけど犬はいいのよ、犬って子沢山でしょう? だから云々」というお話を聞いたこともある。
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 彼らが信仰している(としか思えない)日本古来のステレオタイプの「幸せ」は、いまや幻想である。手垢のついた「常識」を振りかざしても意味はない。でもわたしには、彼らに反論する気力も愛情もない。
 一度しかいわないのでよく聞いてね。わたしにとって、テスは子どもの身代わりではありません。(2000.12.9)



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