愛さえあれば


 女友だちが引っ越しをするという。
「エアコンくれるっていってなかったけ?」
 1年以上も前の話である。相変わらずの天然ボケぶりを笑っていたわたしは、引っ越す理由を聞いて仰天した。犬を買っちゃったというのだ。ペットショップにいた「すっごくかわいい」ビーグルを買っちゃったというのだ。
 彼女は犬なら飼ったことがあると自信満々だが、二十数年も前のことである。いまとむかしでは事情が違う。さらに彼女はひとり暮らしで仕事を持っている。留守にしている間、仔犬はどうするのか。友よ、おまえも衝動的に手に入れた犬を飼いきれなくなるノータリンの轍を踏むのか。

 数日後、彼女がうちにやってきた。相変わらずメーク濃いめ、アクセサリー過多、そしてネールアートを施した長い爪を見て、わたしは暗い気分になった。ビーグルを特集している雑誌や仔犬について書かれた本、それにテスには小さくなった胴輪とレインコートを譲ることにした。
 そうして小一時間もしたころ、彼女がそわそわと落ち着かなくなった。さてはデートの予定でもあるのか、そうでなければ腹でも減ったか。とくに予定はないと言うので、近所に新しくできたピザ店に誘うことにした。ひさしぶりで積もる話もあった。だが、彼女はすっかり冷めたお茶を一気に飲み干すと、「ゴエモンが待ってるから」と言った。

*

 きょう散歩中に、「うちにもボーダーコリーがいるんですよ」と声をかけられた。スーツ姿の若い女性だった。まだ4カ月の雄で、家の中を荒らし回っているという。テーブルや椅子の脚はぼろぼろ、玄関マットは食いちぎられ……。どうやらこの世にはおとなしく寝てばかりいるボーダーの仔犬はいないらしい。いつになったら落ち着くのかと訊かれたので、さしあたり歯が生え替われば家具は囓らなくなりますと答えると、「何年くらいかかります?」だって。
 その人は犬を飼うのは初めてで、おそろしいくらい何も知らなかった。トイレのしつけや餌の回数のなど問われるままに話した。そうとう活発な犬らしく、いたずらやおしっこのせいで夜もおちおち寝ていられないという。別れ際に「でも、かわいいでしょう」と訊くと、その人は顔を輝かせて「ええ、それはもう」と言った。

*

 わたしはさまざま調べ上げてから犬を手に入れた。それはたんに本や資料を読むのが好きで苦にならないからだったのだと、いまは思う。上の2人にわたしが教えたことや、譲った品物はあまり役に立たないだろう。一回聞いたくらいではすぐに忘れるに決まっているし、胴輪やレインコートも犬が嫌がればそれでおしまい。
 犬を育てるのに必要なのは愛。愛さえあれば、あとはなんとかなる。
 女友だちからはその後、なんの連絡もない。4カ月の雄ボーダーの飼い主さんとも会うことはないだろう。でもきっと幸せに暮らしていると、わたしは信じている。(2001.10.28)



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