がんばれ、じいさん



 数ヶ月おきに、以前住んでいた街に通う機会がある。もう2年ほどにもなる。駅から歩いて10分ほどの通い路は、かつての散歩コースでもある。テスのおかげで歩き尽くしたといってもいいような街だ。

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 その犬は「じいさん」という。名前を知らないから、住んでいたころからそう呼んでいた。
 屋根がドーム型の、凝ったつくりの家の犬だ。柴系のミックス犬で、そうとうな高齢であることは一目でわかる。粉を吹いたような白い顔。毛づやのない痩せた身体。最初に見たときからそうだった。気の毒がって「家の中で飼えばいいのに」と言う人がいたが、わたしはそうは思わなかった。なにしろこのじいさん、老いさらばえてはいるが、やる気はじゅうぶんだった。

 吠えるのである。テスを連れていてもいなくても、通るたびに必ず吠えつかれた。家の前にさしかかると素早く出てきて、ステンレスの頑丈そうな門扉越しに猛烈に吠える。生まれつきの気性なのか、そうしつけられたのか。いずれにしろ、わけもなく吠えつかれれば不愉快になる。テスも気分によっては応戦することがあったから、そのうち前を通るのをやめた。そして忘れた。
 そんなことだったから、通い始めたころ、たまたまその家の前を通りかかったとき、ふいに吠えつかれたときにはびっくりした。おお、元気だったか、と懐かしく思った。むかし馴染みに声をかけられたような気分だった。

 古い住宅街でも、しばらく見ないうちに少しづつ風景はかわる。なにもなかったところに店ができたり、更地だったところに家が建ったり。そうした移り変わりを見るのは楽しくもあり、寂しくもある。犬を通じて親しくなった人たちともすっかり疎遠になってしまった。でも、じいさんだけは変わらない。玄関から門扉までの狭いアプローチにいて、毎日毎日、通行人や犬を監視している。

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 そんな勤勉なじいさんも、半年ほど前あたりからさすがに衰えが目立ってきた。まず、じぶんからは出てこなくなった。玄関の前にだらりと寝そべっていて、「おーい」と声をかけると、ちょっとだけ首を持ち上げる。足を止めて覗き込んでいると、起き上がってよちよちと門扉のところまで出てきて、思い出したように吠える。目やにがひどく、よく見ると脇腹の一部がハゲちょろになっている。
「もういいから、仲良くしようよ」と、ある日、吠えるじいさんに向かってわたしは言った。だから、そのあと二度続けてじいさんがいなかったとき激しく後悔した。あんなこと言わなければよかったと。

 一度目は家の中にでもいるのだろうと思うことにした。だが、二度目はそうはいかなかった。わたしは足を止め、門扉越しに「おーい」と声をかけた。
 ぞっとするような静寂。いつもじいさんが寝そべっていた場所にぽっかりと穴が開いたように見えた。
 死んだのだ、と思った。
 かつて暮らした街が、一気に遠ざかったような気がした。

*

 ところがどっこい、じいさんは生きていた。
 きのう、暗い気持ちでその家の前を通りすぎようとしたら、なんと、玄関の前にじいさんがいるではないか!
「おーい」とわたしは、いつものように声をかけた。じいさんはちょっとだけ首を持ち上げて、わたしのほうを見た。そして足をばたばたして身体を起こそうとした。がうまく行かない。前より弱っているのがわかる。
「おーい」と、再びわたしは声をかけた。わたしはおまえの縄張りに踏み込もうとしているのだ。早く来ないと悪さをするぞ。
 懸命に身体を起こそうとするじいさん。
 やっと前足が立った。いいぞ、その調子だ。後ろ足にも力を入れろ。
 がんばれ、がんばれと心の中で念じながら、わたしは少し泣いていた。(2003.1.18)


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