また会う日まで
先月のはじめにKさんのお宅を訪ねた。
Kさんは前に住んでいたところでの犬友だちで、ゴールデンレトリーバーのBくんの飼い主だ。ほかの用でお電話をいただいたとき、ちょうど近くまで行く予定があったので、ひさしぶりに会いましょうということになった。
その電話で悲しい話を聞いた。Kさんとともに親しくしていたYさん宅のゴールデンレトリーバー、Rちゃんが亡くなったという。その日はYさんも来られるということだったので、わたしは電車の中でどうおくやみを言ったらいいかということばかり考えていた。
*
駅からの道をおみやげのぶどうを提げて歩いていると、タクシーが止まってドライバーに道を訊かれた。それから数分もたたないうちに、また背広姿の男性に道を訊かれた。引っ越してから四年になるが、テスのおかげで歩き尽くしたといってもいいような街である。どちらもすらすらと答えることができた。Kさん宅に着いてからその話をすると、「この辺の人みたいな顔してたんじゃないの」と笑われた。
出会ったころは若犬だったBくんも、いまや堂々たる成犬である。だが、やんちゃなところは相変わらずで、勢いよく走り寄ってきたと思ったら、わたしの手に持ったハンカチをくわえ取って逃げて行く。なんとか取り戻したが、またすぐに奪い返され、テーブルの下で勝ち誇ったようにかみかみされてしまう。おかげでハンカチはべとべとである。
*
犬の写真がたくさん飾られたリビングで、互いの近況や犬の話をした。しぜんと亡くなったRちゃんの話になった。
きゅうに食べなくなり、病院に連れて行ったらがんが見つかったという。亡くなったのは2週間後。Rちゃんは10歳だった。姿の美しい優しい犬で、テスもよく遊んでもらった。大きなゴールデンと一緒だとテスも気が大きくなるのか、通りすがりの犬たちに威張ったような態度をとるのが可笑しかった。犬が犬種を認識しているのかどうかわからないが、テスはいまでもゴールデンを見ると尻尾を振って寄って行こうとする。
「Rちゃんは前の日までほんとうに元気だったのよ」
Kさんが言った。
食べなくなった前日、偶然にもみんなに会ったのだという。みんなというのはKさんとBくんをはじめとする近所の犬と飼い主さんたちのことだ。会えないときはぜんぜん会えないのに、その日は顔なじみの犬と次々と出会い、ひとしきり遊んだという。
「あれはRのお別れだったんだと思う」
仰向けに寝ころんだBくんのお腹を撫でながらYさんが言った。
「犬はわかってるのよね」
静かにKさんが続けた。
*
Yさんは、餌のボウルやおもちゃなど、Rちゃんが使っていたものをすべて処分してしまったという。ずっと残しておくか、すべてなくしてしまうか。同じ犬の飼い主として、どちらの気持ちも痛いほどわかる。Yさんは後者を選び、そしてすでに同じゴールデンの仔犬を手に入れることを考えている。それからしばらく仔犬の話で盛り上がった。
これでいいのだとわたしは思った。
犬は主人が悲しければ悲しく、楽しければれば楽しいのだから。思い出は決して古びない。Yさんは新しい犬にRちゃんを見るだろう。そうして繰り返されて行くのだ。
けっきょくおくやみは言えずじまいだったが、みんなで楽しい時間を過ごしたことが、Rちゃんへのなによりの供養になったと思う。
*
帰りはKさんと駅のほうまでご一緒することになった。買い物もしなければならないし、わたしの見送りついでにBくんの散歩もすませてしまおうというわけだ。
途中でBくんはもりもりとうんちをした。Kさんが始末するのを見ていて、じぶんの傍らにテスがいないことをさびしく思った。
Kさんがスーパーに入って行ったあと、ガードレールに繋がれたBくんは、去っていくわたしをいつまでも見ていた。
ああ、なんて名残惜しいんだろう。
手を振るとBくんは「帰っちゃうの?」と首を傾げた。
うん、テスが待ってるから。さようならBくん、また会う日まで、元気でね。(2003.7.28)
INDEX|PREVIOUS|NEXT|HOME
Copyright (c)2000-2003 by Shiro-Mimi and Dog-Ear Press.
All rights and bones reserved.