心を無にする



 会いたい人にはなかなか会えなくて、会いたくない人にばかり会ってしまうのはなぜだろうか。
 たとえばわたしは道を尋ねる人にはあまり会いたくない。入り組んだ住宅街の中の三叉路などで、メモを片手にきょろきょろしている人を見ると暗い気持ちになる。どういうわけか、世間の人々は犬を連れて歩いていると、ひまないい人で、近隣の地理や建造物に通暁(つうぎょう)していると思い込んでいるようなふしがある。自分で言うのもなんだが、わたしはたいてい忙しく、さほどいい人でもなく、さらに地理音痴である。訊かれた道や建物を知っていれば晴ればれと教えてさしあげるが、知らなければほかを当たっていただくしかない。

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 しかし人間が相手の場合はまだましである。話せばわかる。困るのは犬同士だ。
 犬の「相性」は人間には理解不能である。吠え合うのがわかっている場合は、飼い主さんと目配せを交わして避けることができるが、初対面だとそうも行かない。だから初めて見る犬とすれ違うときは緊張する。それは相手も同じなのだろう、険しい顔をして犬を塀に押しつけたり、ちっこい犬だったら抱き上げたりする人もいる。こっちは体重18キロの中型犬だから、すでに戦闘態勢に入っているときは精一杯リードをたぐり寄せるしかない。
 きょうあたりは心穏やかに散歩をしたい――と思っているときに限って、一悶着あったりするからたまらない。これは、最初に書いた「会いたくない人にばかり会ってしまうのはなぜだろうか」に通じるものがある。

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 そこでちょっと発想を変えてみた。
 犬と付き合ったことがある人なら、犬にじぶんの気分が伝わってしまうことをご存じだろう。テスはわたしがいらいらしているときは、絶対に近づいてこない。浮かれた気分のときは、まとわりついて遊びに誘ってくる。これは態度に出しても出さなくても同じ。
 というわけで、見知らぬ人と犬とすれ違うとき、「こんにちは」と挨拶をすることにしてみた。するとどうでしょう! というほどの劇的な効果はないが、案外いける。相手の犬がガルガル状態でも吠えずにやり過ごすことくらいはできる。
 大事なのは、このときに「心から」挨拶をするということだ。犬はそう簡単にだまされてはくれない。ササクレた気分のまま挨拶だけしてもだめである。

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ゴーストバスターズ[Amazon]という映画の中で、ゴーストはあなたの心の中にあるものの形を取って現れるから何も考えてはならない、という愉快なシーンがある。そこで登場人物の一人がマシュロマンを思い浮かべてしまうわけだが、あれですよあれ。挨拶をするときは何も考えないか、なるべく楽しいことを思い浮かべる。
 しかしながら、これはけっこう難しい。おとなになると、どんなときでも、ついツマラナイことばかり考えてしまうものである。テスを納得させられるくらいの「無」の境地に達するには、わたしはまだまだ修行が足りない。(2004.4.24)


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