雨嫌いの犬



 雨の日に外出するのをおっくうがらない人はあまりいないと思う。雨にまつわるロマンチックな思い出があるような場合は別として、現実問題として面倒くさい。濡れてもいいような服や靴を選び、傘をさして、水溜まりを避けながら歩かねばならない。外出先では傘の置き場所を求めてしばしさまようか、備え付けの薄いビニール袋をかぶせて持ち歩くかし、帰宅したらしたで、濡れそぼった傘や靴の後始末をしなければならない。だから、雨の日はなるべくどこにも行かずにおうちで静かに本でも読んでいたい――のだが、犬がいるとそうも行かない。


 犬の体内時計は正確である。どんな日でも、それなりの時間になると、どこからともなくやってきて、足元でわざとらしく伸びをしたりする。
「雨が降ってるでしょう」と、無駄を承知で言ってみる。
「はあ?」それがなにか、という顔でテスはわたしを見上げる。
 腹立たしいので黙っているといったん引き下がるが、そのうち、わたしの視野内で思わせぶりにうろつきだす。それでも無視していると、室内トイレでおしっこをする。マナー上、散歩に出る前に必ずおしっこをさせることにしているからだ。間もなく、ありもしない砂を派手に掻く音がする。自発的にしたことを態度で示しているのである。よれよれと、わたしは立ち上がる。


 雨の日に犬を散歩させるとなると面倒くささ倍増である。なにしろ、カッパを着せなければならない。念のために付け加えておくが、これはただひたすら人間様の都合である。ボーダーコリーはダブルコートだから、ちょっとくらい濡れてもへっちゃらだ。テレビで見たスコットランドのボーダーコリーは、そぼ降る雨の中を慌てず騒がず、堂々とうろうろしていた。だが、その犬たちは牧場を住まいとする仕事犬で、テスはマンション暮らしの家庭犬である。飼い主側としてはびしょびしょ犬をびしょびしょのまま室内に入れるわけにはいかない。
 びしょびしょに濡れた犬の後始末には、多大なる手間と大量の古タオルが必要だ。雨の日に洗濯物が増えることを考えただけでも頭が痛くなる。そこでカッパの登場となる。カッパを着せさえすれば、濡れる面積が大幅に減る。
 テスのカッパは人間の赤ん坊のロンパースに似た、全身をおおうタイプである。
 ハーネスを装着した後、上からかぶせるようにカッパを置き、4本の足を順番に袖に通してゆく。すべての足が通ったら、腹側のスナップを留める。この際、はみ出した毛はきちんとカッパの中にたくし込む。フードは嫌がるのでかぶせない。
 犬にカッパを着せ終えてからやっとじぶんの支度。防水加工のパーカーを着たり、物入れから古タオルを出したりするわたしの後を、カッパ姿のテスがシャリシャリとついて来る。雨の日用の靴を履き、カッパの首付近に開けてある穴からハーネスのフックを探り出してリードを取り付けて準備完了。傘を持って外に出る。


 ここからが問題だ。さまざま10分ほどもかけて支度をしたというのに、かんじんの散歩はものの数分で終わる。なぜなら、テスが早く帰りたがるからである! うんちもしないことさえある。ちょろちょろっと100メートルほど、ときどきぶるぶると体をゆすりつつ、そこらのにおいをかぎながら歩いて、おしまい。それでも濡れるから後始末をしなければならない。タオルでざっと水気を拭き取った後、カッパを脱がせる。カッパを着せても足先とお腹と尻尾はどうしても濡れるし、細かな泥がつくから、シャワーで洗い流してタオルでこする。濡れ具合によってはドライヤーを使って乾かすこともある。最後にカッパを水洗いして干す。数分の散歩に対し、準備と後始末が約30分。こうなるともう散歩というより、なにかの儀式めいてくる。
 さてはこやつ、ボーダーコリーのくせに雨が嫌いなのではないか。
 雨の日に犬の散歩をさせている人の多くは、外でおしっこやうんちをさせるためだ。家の中ではしない(させない)というケースはめずらしくない。だが、テスはしたくなったらいつでも、室内トイレで済ませることができる。雨の日に、わざわざ外に濡れに行くことはないのである。それなのに、なぜ、面倒な思いまでして外に行きたがるのか、テスよ。


「じぶんが行きたいんじゃなくて、あなたを散歩に連れて行かなきゃと思ってるんだよ」と、いつだったか家人が言った。もちろん彼は冗談のつもりだったのだろうが、さいきんになって、それがもっとも的を射た答えのような気がしている。(2004.10.8)


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