第五章 四年目を迎えて

 例によって親ばかから、生後一年くらいまでは三日に上げず写真を撮っている。愛機EOSはテス専用といってもいいくらいだった。
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 仔犬のころは、まことに仔犬くさい顔をしている。目からマズルに向かって涙焼けが走り、鼻にはところどころに白い星が入っている。
 何かを囓っているか、寝こけているかのどちらかで、俯せで眠っているところは、まるで空を飛んでいるように見える。

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 チビ犬の頃はうちで洗っていた。テスはシャンプー大嫌いで、飼い主ともどもずぶ濡れのお風呂場デスマッチだった。洗い終わってドアを開けると、脱兎のごとく飛び出して、そこらじゅうでぶるぶるをした。ある日、とっ捕まえてタオルでごしごししていたら、そのままわたしの膝の上で眠ってしまった。

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 生後3ヶ月頃から、耳が立ち上がり、頬毛が伸び、前肢に飾り毛が生え始めている。細くまとまっていた尻尾がふさふさになった日のことをよく覚えている。しばらくぶりにシャンプーをして、乾いたと思ったら、あら不思議、見事なふさふさになっていた。

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 はじめてのシーズンを迎えた日のこともよく覚えている。ある夜、ベッドの上でテスとプロレスごっこをしているとき、性器に乾いた血液がこびりついているのを見つけた。「あっ生理」と思った。誰かに言いたくてたまらず、ニフティサーブの、犬とはぜんぜん関係ないフォーラムの掲示板に「きょう飼い犬が初潮を迎えました」と書き込みをした。世界じゅうに言いふらしたいような気分だった。

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 先祖代々の習わしから、テスは通常、頭を低くして尻尾を垂れた独特のポーズで歩くが、ときおり、遠くのほうを見るように頭を高く上げ、尻尾を振りかざすことがある。例によって親ばかを承知でいうが、そういうときのテスは実に美しい。若い雌の体力と自信を、身体じゅうに漲らせているように見える。

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 テスがどういう気分でいるのか知りたくなることがある。ある日わたしは、テスと一緒に夫の帰りを待ってみた。玄関に寝そべって、ただひたすらに待つのである。
 玄関ドアのわずかな隙間から吹き込む外気を感じた。土埃と下水のにおいがした。
 かすかな金属音が聞こえた。夫がポケットの鍵束を探っている音だった。そのときにはもう、テスは立ち上がって、ドアの隙間に鼻面をつけ、懸命に外のにおいを嗅いでいた。鍵穴に鍵が差し込まれる音がして、室内の空気が吸い出されると同時にドアが開いた。

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 テスにとって、わたし及びわたしの夫との関わり合いは、きわめて瞬間的なことの積み重ねで、いちいちのことについての系統だった連続性はないように思える。テスにしかわからないある気配が、夫が帰って来る前兆であるというパターン認識はあるが、帰ってきた夫に飛び付いて顔を舐めているうちに、直前の待機の記憶はどこかにしまい込まれてしまう。そして夫がそこに百年前からいたかのように、テニスボールをくわえてきて「遊びましょう!」というのである。

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 仔犬の頃にお世話になった人が、じぶんの犬を評して「誰にでもついて行っちゃって、そこで幸せに暮らすと思うよ」といっていた。当時はなんてひねくれたことをいうんだろうと思ったが、テスと付き合ううちに、そうだろうな、と思うようになった。
 テスにとって、わたしはいつも、ちょっとだけ新しいわたしである。だから、そのわたしが、テスにとって離れがたい魅力的な存在であるべく、努力したいと思っている。
 飼い主の都合に振り回されながら、たいした病気もせず、無事に満三歳の誕生日を迎えた。いま、足元でへそ天になって寝ているテスに、わたしは心から感謝している。(2000.6.16)


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